表札の歴史について調べてみました。

表札の歴史について

思ったより表札の歴史は浅かった

新築の際や新婚生活をスタートする時、どんなデザインの表札にしようかと迷う方も多いと思います。
来訪者が最初に目にする表札は、その家に住む人の個性を端的に表す『家の顔』ともなるものといっても過言ではありません。

では、家の前に表札を掲げるのはいつごろ始まったのでしょうか。

なんと、一般家庭に表札が導入されたのは割と新しいものみたいです。

江戸時代の庶民の熊さんや八つあんはそもそも苗字を持っていなかったし、遠くの町に移転することはまず殆どなかった上に、近所はほとんど顔見知り。
表札を掲げなくても、訪れた人が「八五郎さんの家はどこでしょうか」と尋ねれば、すぐにご近所さんに教えてもらえたと思われます。

特に長屋では、入口に住人の一覧が掲げられていたそうです。
大家と店子は家族のような付き合いがあったため、表札などがなくても大家さんを窓口にして十分に交流ができたそうです。

江戸時代の町では、苗字だけの表札を武家屋敷に見かけるぐらいで、決して一般的なものではなかったという事みたいです。

表札が普及しはじめたのは明治4年に戸籍法が制定され、庶民が苗字を持つようになってからだそうです。
同じく明治4年に郵便制度が施行され、住所と名前によって郵便物が届けられるようになると、どの家にどんな身分の誰が住んでいるかの目印として、表札が使われるようになったようですね。

そして、表札が一気に広がるきっかけとなったのが、1923年(大正12年)9月1日に起こった関東大震災であるらしいです。
多くの家屋が倒壊し、同じ場所に再建できるとは限らなかったので、誰がどこに移転したのかわかるよう表札を利用しだしたということだそうです。

表札の歴史を調べたら、明治の「平民苗字許可令」が表札を使い始めるキッカケだった。

1.表札の歴史について

いま日本中で用いられている表札は、石に文字を彫り込んだもの、木に墨で書いたもの、陶磁器の板に文字を描き焼き付けたもの、ガラスや陶磁器に文字を彫り込んだり着色したもの、鉄やアルミニウムやステンレスなどの金属を切断したり曲げたり叩いたり加工して作り上げたもの、その他さまざまなバリエーションに富んでいます。

その表札が使われることになった歴史を調べてみましょう。
以下、年代と出来事、その際の資料などを添えてまとめてみることにしました。

明治以降の表札にかかわる法令
・明治3年9月19日(1870年10月13日)「平民苗字許可令」が定められ、平民に「苗字」の使用が許される。

江戸時代まで、日本において公的に苗字を使用したのは、原則として、公家及び武士などの支配階層に限られていました。
明治維新により、従来の身分制度の再編が図られ、「平民苗字許可令」が定められ、この布告では初めて「平民」の語を用いて、華族及び士族(この両者は公家・武士の家柄がほとんど。)に属さない平民に「苗字」の使用が許さることになりました。
本令では、苗字を称える(唱える)ことを義務づけ、「祖先以來苗字不分明ノ向」は新たに苗字を設けることとなったのです。

・明治4年 郵便制度が導入される。郵便物の配達時に各戸に苗字表示板(=門札 標札)の掲示の必要性が生じる。
・明治4年(1871年)に戸籍法が制定。それまで各府県ごとに行われていた戸籍作成に関する規則を全国的に統一される。
・明治8年(1875年)2月13日には平民苗字必称義務令が施行さる。

明治3年に「平民苗字許可令」が制定されましたが、当時の国民(平民)には、わざわざ苗字を使用しない者も多く、そのため、1875年(明治8年)に改めて名字の使用を義務づける「苗字必称義務令※」が出されました。

※平民苗字必称義務令
(へいみんみょうじひっしょうぎむれい、平民苗字必唱義務令)はすべての国民に苗字(名字・姓)を名乗ることを義務付けられる。

※1875年(明治8年)2月13日に平民苗字必称義務令が出されたことから、2月13日を「苗字制定記念日」という。また、明治3年9月19日(1870年10月13日)に平民苗字許可令が出されたことから、9月19日は「苗字の日」とされています。

表札、当時は表札の他に『標札』という文字もしばしば用いられていたようです。

その標札を上記の法整備とともに明治政府は近代国家形成のために普及促進させたみたいです。
また、各県の警察を通じて標札の見本・雛形を例示して普及を図りました。

以下その資料です。
各地で、標札の見本を示してまでして、表札掲示が勧奨されてたようです。

士卒農工商の身分・職業の表示も義務付けられていたようです。
現代では、個人情報保護の観点から、考えられませんが、富国強兵を目指す明治政府の国策が標札に表れているといっても過言ではないでしょう。


「…家の主人の名を書いてある表札を軒口に貼附ける事となって居て…」に関して、
明治5年~11年頃の間に布達がなされたようです。

設置が個人か行政かを問わず不揃いの個人標札が増加する中、
各府県では雛形を明示して標準化をはかる布達=当時の行政命令が発せられ、
東京府や大阪府、兵庫県その他の府県で布達を発しています。


(1)大阪府 明治5年9月
『類聚大阪府布達全書.第1編第5巻/古屋宗作編/竜雲舎[ほか]/明18-19』
「苗字表札」<386・387/401>(618~620頁)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788319/387
<387/401>(620頁)明治五年九月甲第三百六号達


(2)山梨県 明治7年2月
身延町誌>第三節 新戸籍法と家族制度
一、旧戸籍法の沿革 (四)明治7年戸籍編製法による改製
「3、各戸に標札を掲げさせ、戸内の人員を掲示する。これは本籍寄留を問わない。」
https://www.town.minobu.lg.jp/chosei/choushi/T12_C01_S03_1.htm


(3)愛知県 明治7年6月
『愛知県布達類集. 明治4-8年/活版局/明9.5』


http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788163/352
<352~354/543>(632~635頁)第五十四號 明治七年六月


(4)東京府 明治9年12月9日ほか
東京府管内では、明治九年十二月九日に雛形を示し、
明治十年一月三十一日を期限として標札等を標出致すべし旨の布達。
『警察法鑒.明治23年/警視庁/明23-27』
「第七章 安寧/第五款 生死異動 附戸籍標札」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/790942/182
<182・183/434> (332~335頁)


〇東京府布達 明治九年十二月九日甲第百四十四號

※戸籍札更ニ一定候様別紙標札心得書相示シ候條
來明治十年一月三十一日限リ標出可致此旨布達候事※
(※~※/下記URL●から補完)

●『警察宝典:写真石版/丹羽五郎編/いろは辞典発行部/明26.6』
<328/343>(607頁)第七章 戸籍標札
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/790956/328

標札心得

第一條 宅地番號札ハ家主ニ於テ戸數點檢札ハ地主ニ於テ
戸主名札ハ居住人ニ於テ各自標出スヘシ

第四條 戸主ノ名札ハ左ノ書式ヲ用フヘキ事
但シ爵位階勳等族籍等ヲ記入スルハ隨意タルヘシ
本籍ノ者 [苗字名]
他管ヨリ寄留シテ一戸ヲナス者 [某府縣 苗字名]
他ノ郡ヨリ寓居シテ一戸ヲナス者 [何郡區 苗字名]
他ノ町村ヨリ寓居シテ一戸ヲナス者 [何町村 苗字名]
他ノ番地ヨリ寓居シテ一戸ヲナス者 [何番地 苗字名]
…但シ用材寸法適宜タリト雖トモ縦五寸橫二寸厚サ二分ヨリ小ナルヘカラス
書體楷書ヲ用フヘシ


<183/434>(335頁)
〇東京府布達 明治十年十二月二十七日乙第百號 區長戸長
人民傭入ノ外國人明許ヲ得テ居留地外エ住居爲致候者ハ左ノ書式ノ通
其家屋ニ標札相揭候様傭主ヘ無遣漏可及告示旨相達候事
[何某傭 何國人 姓名 橫文 片假名]


(5)兵庫県 明治11年4月・5月
『現行兵庫県布達便覧.上/相馬幸治編/柳影社/明15』
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788552/97
「…來ル六月三十日迄ニ戸籍番号ニ照ラシ更正可致…」

概ね明治5年~11年頃の間に同趣旨の布達がなされたようです。

「高知県、明治七年一月、戸籍事務に資するため標札を備えつけ示達」
「浜松県、明治6年4月4日布達第26号で家札(標札)を各戸に掲げる」
「金沢県、明治八年、家毎に標札」など
廃藩置県後の戸籍編製作業等との兼ね合いなどもあってか、
各府県毎に雛形の布達時期や内容の足並みは揃わなかったようですが、
概ね明治5年~11年頃の間に同趣旨の布達がなされたようです。

布告が人に対する命令・法律等であるのに対し、布達は太政官や省庁から府県とか、
府県から区長・戸長などに対する訓令の位置付けの為、罰則もない結果、
どの程度の効果があったかは定かではありませんが、
明治末期を待つまでもなく、
各府県毎の布達が標札普及に相当の効果を及ぼしたといえるでしょう。

各法令の施行により、標札の雛形を例示し、各府県で表札を掲げることが奨励されたようです。
例えば『郷土史大辞典 下/歴史学会編/朝倉書店/2005』によりますと、
…日露戦争に際して兵士を送った家でその旨を記した貼り紙を出したころから、
これにならい姓名を玄関に書き出す風習が広まったという事です。その後、1923年(大正12)の関東大震災により人口の移動や住宅の建て直しが盛んになり、表札は本格的に普及していく。

とあります。

更に追加検索を試たところ、下記のような訓令が見つかりました。
表札のサイズ、表示内容についてもかなり事細かに注意事項が書かれてるようです。

・『福岡県警察法規類典.第1巻/帝国地方行政学会編/帝国地方行政学会/昭和10』

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1444005/728

<728/1019>(1377頁)
●一般人民門戸標札 明治二十二年一月訓令保第八號
一般人民ニ於テ宅地番號氏名標札ノ門戸ニ釘付可致義ハ明治十二年四月甲第六十二號
長官御達モ有之候處間ニハ名刺ヲ貼付シ或ハ規定ノ寸法ニ違ヒタル標札ヲ掲ケ
又ハ門戸ヲ有スルモノニシテ戸口ニ釘付スル等全ク標札ノ効用ヲナサシメサル者
往往有ノ哉ニ相聞ヘ甚タ不都合ニ付能ク規定ニ從ヒ標札ノ効用ヲ失ハシメサル様
執行注意セラルヘシ

上記の「明治十二年四月甲第六十二號長官御達」が何処の省庁・官職を指すのか
確認未了ではありますが、明治22年当時、名刺貼付・規定外表札・門戸不掲示(戸口掲示)に
対する注意喚起は有るものの、表札自体の不掲示には言及されていないところをみれば、
少なくとも福岡県では相当程度に表札が普及していたと考えられます。

また、上野毛村では表札27戸分等を纏めて注文なんて事例もありますから、
徴兵・納税などに対する反発を理由に不掲示の例外も考えられますが、
お上のお達しである以上、多くの庶民は隣近所に合わせるのが普通だったと思います。
(都合の良い解釈との御指摘を受けるかもしれませんが…)

下記は前投稿と同様です。
・『山口県警察規程.上/山口県警察部/明29.12』
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/791261/147
<147/698>(270・271頁)
〇甲第二十號(明治十二年一月二十日本縣布達)
〇乙第二十四號(明治十二年一月二十日本縣達)

以上、これらの資料を読めば読むほど、明治の中ごろにはたいていの庶民の住宅に表札(標札)があったと想像できる。
お上のお達しである以上、その書式に従って、多くの庶民は隣近所に合わせるのが普通だったと想像できる。

また、以下の資料では、陶器製表札の勧めの広告が明治27年に出されている。
陶器製の表札こそが木製の表札に比べて優れている事を宣伝するための広告も現ている。
木の表札に比べて色落ち、劣化しない特性を強調しているのである。

東京府関連では、
明治10年時点で『懐中日用便』に布達(※後述)に基づく標札書式(東京府)が掲載され、
明治20年代には特許取得の陶製表札の販売、大正4年のハウツー本では
現今盛んに使用される様になった物の一つに標札が並ぶ状況。

・『懐中日用便/青木輔清編/青木輔清/明10.1』

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/897460/16
<16/48>「標札書式 但し東京府」


・『明治事物起原/石井研堂著/橋南堂/1908』
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898142/240


<240/297>(426頁)「陶製表札の始」


・『古今名誉鑑:徳育智育.第1巻/山田栄造著/玄堂/明27.3』
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/777885/35
<35~39/42>(48~56頁)

 

陶器の表札が余りにも画期的で実用的で高付加価値だと評価したのでしょうか。
陶器製表札を販売するにあたって歩合制で外交員の営業販売が莫大な儲けとなる。
といったことが、以下に書かかれています。

・『小資本成功法:最大有利商品製造販売/東京実業研究会編/大成社/大正4.4』

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/911408/34
<34/68>(56頁1~2行目)「…現今盛んに使用さるゝ様になつたのは…各戸の表札、…」

 

明治45年には、表札を玄関に掲げる事が警察に把握管理され台帳に載っていることが家長としての誇りともいえるようですね。

明治45年の大阪毎日新聞によれば大阪市内では、
警察の戸口調査が非常に厳重になった事で普及率100%のニュアンス。
・「神戸大学附属図書館/新聞記事文庫」
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentVi …
「救済および公益事業(1-017)/大阪毎日新聞/1912.6.24-1912.7.1(明治45)」
昨今の貧民窟 (一~七)/(二) 残飯の香籠る路次
今宮(※大阪市内)の踏切即ち俗に云う下道の踏切を越すと…
…昨今ではソンな事は決して無く、警察の戸口調査が非常に厳重になって何んな間口半間の
畳一枚しか無い荒家でも人が住む家であるからにはソノ家の主人の名を書いてある表札を
軒口に貼附ける事となって居てソレが又た近来彼等の誇りとなり己れは立派に警察の帳面に
載って居る人間だ、とコレ見よがしに表札をはり附ける様になったのである、…

慶応大学所蔵の、「東京警吏要覧 明治11年」の P10、戸口取調手続 第二条
該署に於いては
ー第一号図式に準じて管内各戸に表札を添付し其調査に便すへしー
とあります。(原文は旧字体で、カタカナ利用)
他の二箇所では、表札という文字を、火事の時の火元調査のため「火元の町名番地の表札を剥取最寄りの署へ報告し」とかるので
個人宅を同定する方法がなかったので、番地を警察が勝手に張っていたというように推測されます。

一般庶民が表札を掲げ始めたのは、大正12年9月の関東大震災以後といわれています。
庶民の表札は、明治中頃に郵便配達で配達先が分かるようにと少し増えた程度で、庶民の住まいは長屋が多く、長屋の入口に住民の一覧が木札で貼り出されていたようです。
庶民の表札が広まり始めたのは、戦争に徴兵された兵士の家に「皇軍兵士を送った家 田中○○」のような貼り紙を出すようになり、姓名を玄関に張り出す風習が広まりました。
その後、関東大震災での住宅の建て直しの際に住宅と表札はセットのようになり、今に至っています。
一般庶民以外の表札としては、江戸時代に商家には看板が掲げられ、武家屋敷には姓のみの表札が掲げられていました。
また、関東の表札は関西の表札に比べて少し小さいものでした。
現在では、材料の規格化によって関西型は関東型より幅広で、一般的に天然石表札では、関東型は約200×83ミリで、関西型は約180×90ミリとなっています。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/7849547.html

例えば『郷土史大辞典 下/歴史学会編/朝倉書店/2005』
…日露戦争に際して兵士を送った家でその旨を記した貼り紙を出したころから、
これにならい姓名を玄関に書き出す風習が広まったという。その後、1923年(大正12)の関東大震災により人口の移動や住宅の建て直しが盛んになり、
表札は本格的に普及していく。大規模災害だったのは確かだとしても、
関東大震災は地域限定であることと、以前から表札掲示の素地(=普及)が無いことには
新築&表札セットにも結び付かないと思います御達」が何処の省庁・官職を指すのか
確認未了ではありますが、明治22年当時、名刺貼付・規定外表札・門戸不掲示(戸口掲示)に
対する注意喚起は有るものの、表札自体の不掲示には言及されていないところをみれば、
少なくとも福岡県では相当程度に表札が普及していたと考えられます。

…との記述がネット検索で見つかった。
関東大震災が標札普及の第二段ロケットとして推進役となったみたいです。

以上から、「表札の普及は明治になってからという事が明らかになりました。


表札の歴史を調べたら、明治以前、江戸時代の一般庶民では、表札は使わなかった。

明治以前

ー長屋の八つぁん熊さんは、表札を掛けていたか?ー
江戸時代、名字帯刀を許されていたのは武士だけ。
という事は、長屋の八つぁん熊さんは名字がなかったということになりましょうか。

調べてみると、江戸の大名の藩邸(上屋敷など)には表札はなかったようです。

地元の人や江戸の町人は
「門構え」「家来集の提灯の家紋」「武家帖禄」「江戸町地図」「正保絵図」などで
表札は無くても、その屋敷が「どこの誰の屋敷か」を知っていたとあります。

武家屋敷には姓のみの表札があったらしい。
大阪の蔵屋敷には看板代わりに大きなサイズのものがあったみたいです。

各藩の産品や特産物の保管庫でもあるため、やはり看板は必要だったという事でしょうか。

下記のようなきっかけで、表札の必要性が生じてきたとの意見も、見受けられる。

江戸時代の武家屋敷には表札はなかったのですか

少なくとも
「織豊期」「江戸前期」「元禄期」「明治維新直前」には武家屋敷の表札は一般的になく
地元の人や江戸の町人は「門構え」「家来集の提灯の家紋」「武家帖禄」「江戸町地図」「正保絵図」などで
表札は無くても、その屋敷が「どこの誰の屋敷か」を知っていたそうです。

江戸の大名の屋敷は「赤門」「総構え」なら前田家
「黒門」「総羽付」なら伊達家というような特徴がありましたので
表札の概念は存在せず、
江戸期には「神社」「寺院」が「札」を出す程度でした。
明治維新直前を上記に出したのは
100年前の江戸の写真で
数十枚の武家屋敷の門や客来の入り口に表札が全く写っていない写真が
証拠として現存しているらしいです。

武家屋敷には姓のみの表札が掲げられていました。一方、全国の大名は大阪に蔵屋敷を持ち、地元の産品をここで換金していました。この蔵屋敷が堂島から北浜にかけて集中し、権勢を競うように屋敷の規模を拡大しました。
表札も大振りなものだったと言われています。関西ではこの諸大名の蔵屋敷の大きい表札にならったといわれます。


2.表札の材質 表札の様式は多種多様化が進んでいる

当初、表札の材質は木が主流だった。
その後、昭和の高度成長期になると、家の造りも以前と比較して贅沢になり、表札にもお金をかけるようになる。
御影石や大理石などの石製や日本赤十字社の寄付金額に応じての記念返礼品としての磁器製表札などが流行し、さまざまな材質の表札が登場し、デザインも凝ったものが登場しはじめた。
和洋折衷・洋風建築の家屋など、住宅の様式が多様化するにつれ、表札のデザインもバラエティに富んでくる。
ローマ字表記のものが登場するほか、イラストを取り入れたものなど、個性あふれるものも珍しくはなくなった。
また、古くから血族関係のある家がまとまって暮らしてきたような地域では、同じ苗字の家が立ち並ぶこともあり、このような土地では2世代3世代同居家族などのフルネームを列記したものがある。
苗字だけでは訪ねたい人の家がわからないからだ。
近年では、家族の名前を並べた表札に加えてペットの名前も表示させるなど、家族という意味の意識の変化が表札にも表れている。
また、風水の観点からのデザインの表札もよくみられる。
材質も、強度が担保されるようになったガラス製やタイル製、アルミやステンレスなどの金属製など、続々と新しい素材が採用されている。

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